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2008年3月

「春を感じた音」

「季節を感じる音はなんですか?」と聞かれたら、みなさんは何をイメージしますか?夏だと「セミの鳴き声」、秋だと「コオロギの鳴き声」あたりがメジャーな音でしょうか。

ここ最近、厳しい冬の寒さもようやく終わって春めいてきました。
と、同時に私にとって春を感じさせてくれる音も聞こえてきました。家の周りで「ニャーニャーニャー」と。

そう、我が家の周りにはノラ猫がたくさんいるのです。冬の間はまったく姿を見かけなかったので、どうなってしまっているのか心配していたのですが彼らは無事に冬を越すことができたみたいです。すでに家の前の駐車場は彼らの縄張りと化しており朝っぱらからゴロゴロと転がっています。

この数ヶ月、彼らと遊ぶことができなくて、猫好きとしては若干不満を溜め込んでいましたが、ようやく普段通りの猫ライフが送れそうです。

といった感じで、ノラ猫の鳴き声で春を感じている次第です。みなさんが春を感じる音はなんですか?

(周)

「音と話しことば」

今、私の目の前で、ドアがバタンと音をたてて閉まりました。このことを、私が別の人に話したとします。「さっき、ドアがバタンと大きな音をたてて閉まったのだけど、その音がうるさくて近所迷惑だから何とかして下さい。」

さて、前者の「バタン」と、後者の「バタン」、どちらも字に書き表すと同じ「バタン」ですが、両者は全く異なった次元の「バタン」なのです。つまり、前者はドアが閉まったときに自然に発せられた「音」であり、空気の波動です。空気の波動は四方八方へ広がります。我々は常に様々な空気の波動を受信していますが、その中の一部を「ことば」として聞き分けているのです。その結果が、後者の「バタン」であり、これは立派な擬音語であり、「ことば」です。今、私はドアが閉まる音を「バタン」と表現しましたが、人によってはこれを「バン」とか「ガシャン」とかの異なった表現をするかも分かりません。

音源は同一であるにも関わらず、受け取り手によって異なる表現になりうることからも、ドアが閉まる時に発せられた「バタン」という音と、私が別の人に話した「バタン」が異質のものであることが分かると思います。

別の例を考えてみましょう。(今度はもっとグローバルな例です。)私はよく犬に吼えられますが、この犬の鳴き声、日本人は大抵「ワンワン」と表現します。アメリカへ旅行に行ったことのある友人によると、アメリカの犬も皆「ワンワン」と吼えていて、「バウワウ」と吼えている犬は一匹もいなかったそうです。ところが、同じ犬の泣き声をアメリカ人は「バウワウ」と表現します。この場合、犬が吼えた瞬間に発せられた空気の波動は同一です。その空気の波動を受け取った人が「ことば」として聞き分ける際に、その人の母語のプロソディの影響を受け、上記のような異なった音の「ことば」に表現されます。

つまるところ、空気の波動として誕生した瞬間は全て「音」であり、受け取り手がいて、彼がその空気の波動を「ことば」として聞き分けて初めて「ことば」になると言えるのでしょう。たとえ文字に表したときに同じように見えても「音」と「ことば」は異なったものです。

(裕)

「音のない音楽」

John Cageが1952年に作曲した「4'33」という曲。4分33秒間、まったく音がないといいます。iTunes Storeで検索すると出てきました。ただこれは無料でした。

音と音の間の無音には、その長さに意味を持たせることができますが、すべてが無音とは。。。なにか哲学的な意味があるのでしょうか。

このほかにも音のない曲がありました。Slum VillageのSilentという曲はなんと150円で売られています。買う人がいるのでしょうか?

それでは、私の「4'33」の演奏をお楽しみください。(4分33秒)

(太)

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