« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

「電車内での電話」

最近引越しをして、電車に乗っている時間が長くなりました。
そのせいか電車内で電話を使っている人をよく見かけるようになりました。

あまり気にしないという方もいますが、私は結構気になってしまいます。腹が立つ、という意味ではなく本を読んだりしていても意識がそちらに向いてしまいます。

しかし一方で、電話ではなくその場でおしゃべりしているのはそれほど気になりません。声の大きさはそう変わらないと思うのですが、なぜ感じ方が違うのか不思議でした。皆さんはそのような経験はないでしょうか?

かつて心理学を学んでいたという知人に酒の肴でこの話をしたところ、以下のような回答が返ってきました。

なんでも人間の脳は無意識に会話を予測しようとしてしまうらしく、会話のうち一方の話し手の声のみが聞こえるような場合では、不完全で断片的な情報から予測しようと脳が頑張ってしまって意識がそちらに向いてしまいがちになるそうです。

なるほど、言われてみればそんな気がします。
少し調べてみたところ、似た内容のニュース記事も見つかりました。(ニュース記事ですのでリンクが無効になっている可能性もあります。)

Be kind: text, don't call(※英語です)

他人の電話の声に苛立つ理由は「会話の半分しか分からないから」

などと考えているとますます気になるようになってしまいました。
もちろん電車内での電話の使用は控えた方がいいですが、どうしても気になってしまう場合はあえて意識的に内容を予測しようとしてみるのも面白いかもしれませんね。

(囿)

「選手を悩ます音」

もうすぐサッカー・ワールドカップが開幕します。

先日、南アフリカの民族楽器ブブゼラが選手たちを悩ませているというニュースを見ました。
ブブゼラは、プラスチック製のラッパのような楽器で、127デシベルという非常に大きな音が出るそうです。観客の多くがこのブブゼラを吹きながら観戦する為、監督や選手同士が声でコミュニケーションするのが困難なのだそうです。

この127デシベルというのが、どのような測定方法での値なのか分かりませんので、単純に比較できませんが、騒音レベルの目安として以下のように言われています。

100デシベル 電車が通るときのガード下
110デシベル ヘリコプターのそば
120デシベル 飛行機のエンジン音の近く
(出典:http://www.city.hitachinaka.ibaraki.jp/0601kankyo/otomeyasutext.html)

集中を妨げるからブブゼラを禁止してほしいという声もあったようですが、ブブゼラは南アフリカのサッカー文化の一部だというのがFIFAの考え方のようです。
テニスやゴルフは、選手の集中を妨げないよう静かに観戦するのがマナーのようですので、観客の発する音についての考え方は、スポーツによって様々ですね。

声でコミュニケーションがとれないとなると、日頃の練習・経験と身振り手振りが頼りになるのだと思いますが、頑張ってほしいところです。

(光)

「人間とことば」

情報を伝えるために音を使うことは人間にしかできないことではありません。また、音の利用のしかたは動物によって千差万別です。しかし、伝わる情報量を比較すると、人間に匹敵する動物は他にありません。なぜ人間は声に豊富な情報をのせることができるのでしょうか?

音声の帯域は他の動物と比較して突出して広いというわけではありません。聴取できる音は約20Hzから20kHzまで、発声できる声の帯域は更に狭いです。犬や猫はより高い音まで聞こえるということはよく知られています。また、声の強さについても同じことがいえます。セミの鳴き声くらいの音量で話そうとするとけっこうがんばらなくてはなりません。

人間の音声と動物の鳴き声の根本的な違いは、様々なバリエーションを付加してそれを聞き分ける能力にあります。具体的に、我々は声帯の振動周波数をコントロールしたり、口の形を変えたり、歯・舌・唇といったものを巧みに操り、「言語」という人間特有の機能を駆使しています。

最近、奇妙な実験をしてみました。カラスのものまねをしながら日常生活の会話をするというものです。 「おはよう」を「カークー」、うなずくときは声を下げながら「クー」といった感じです。いうまでもなく、少しでも難しい内容(例えば、「きょう、きのうより寒いね」)を伝えようとすると会話が破綻してしまいます(聞く相手があきれてしまいます)。

進化の過程において、言語の出現は人間の誕生そのものを象徴するものです。人間が木から降りて2足で歩き始めたとき、垂直な姿勢によって食道と呼吸器官が別れ、呼吸器官の一部をコミュニケーションの道具として使えるようになった、という説があります。それと同時に、脳の発達により言語が構造化・複雑化したわけです。

ことばというものは不思議です。ところで、きょうのカラスの鳴き声がちょっと変です。昨日より3度五分暑いとでもいっているのでしょうか。

(桜)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »